原爆が広島と長崎に落とされた本当の理由【2回投下した真相とは?】

今回は、原爆が広島と長崎に原爆が落とされた本当の理由・どうして2回投下する必要があったのか真相についても調べていきたいと思う。

また、なぜ広島と長崎が原爆を投下する場所として選ばれたのか…といった部分に関しても触れていこう。

日本の歴史の中でも非常に凄惨な出来事で、当時の映像を見るたび、いかに自分が良い時代に生まれたのかを実感する。

毎年平和式典が行われているが、どうして広島・長崎に原発が落とされたのかその理由について見ていこう。

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原爆が広島と長崎へ合計2回も落とされたそもそもの理由(ワケ)

そもそも、なぜアメリカは日本に対して原爆を使用する必要があったのか。

これまで様々な考察がされてきたが、現状挙がっている物の中でも特に注目されていたのが…

  • 日本はポツダム宣言をなかなか受け入れなかった⇒アメリカ側は原爆を投下すれば日本が早急に降伏すると考えた
  • 原爆の実験には成功していたが実戦での使用はまだだった⇒実戦での原爆の効果・威力のテスト目的だった
  • 原爆開発に20億ドル越えの国家予算を使っていたので、原爆を使わずに日本が降伏すれば議会で反発される⇒実戦で利用しその効果を見せて国内に認めさせる目的があった

原発を使って日本を降伏させるとあるが、当時の状況ではアメリカが明らかに押しており、東京を初めとして各地域はもう焼け野原だった。そのため、日本が降伏するのはそこまで遠くなかったわけだ。

だが、アメリカ軍は原発開発に多額の国家予算を使っていたため、嫌でも原爆を使わなければいけない状況だったのだという。

広島

広島に原爆が落とされたのは1945年(昭和20年)8月6日。

原爆が投下されたのは「夏」だったが、米軍はもともと同年の「春」ごろから原爆を落とす計画を立てていたと言われている。

上述したように、原爆を落とす目的の1つは「原爆のパワーを測るため」。

原爆のみの威力をより正確にチェックするために、米軍は直径4.8km以上の市街地ならびに都市に対しての空襲を禁じたのである。(空襲を行うと、被害範囲が大きくなってしまうので、原爆本来の力かどうか分からなくなってしまうため)

直径4.8km以上の市街地に当てはまったのが…

  • 広島
  • 長崎
  • 新潟
  • 小倉(現在の福岡県東部にあたる)

後に説明するがグローヴスという軍人は、当初は何が何でも、京都に投下したかった(威力を確かめるのに最適だったから)ようだが、陸軍長官に拒否された。拒否した理由としては余りにも被害が大きくなりすぎると非人道的な無差別爆撃と捉えられる⇒アメリカにネガティブなイメージが付く可能性があるから。

※陸軍長官スティムソンの日記に記載されているとのこと。

結果的に「広島」と「長崎」に原爆は投下される運びとなったわけだが、最初に選ばれたのは広島。広島を第一のターゲットとしたのには複数理由があった。

1.アメリカ軍が捕虜として収容されている施設が無かったこと。なるべくなら同胞への被害は避けたかったのだろう(原爆を使って日本を早く降伏させる=アメリカ軍の被害を最小限にしたい…という名目もあるため)

2.当時の広島はアメリカからの猛攻を受けておらず、日本軍の軍事施設なども多く存在していたため

3.直近で原爆の実験に成功したアメリカからすれば、広島の大きさ、そして山に覆われている環境・地形は、原爆のパワーを確かめるためにマッチしていたため。

原爆を落とした理由として有名なのが、「日本に降伏をさせるため」…といった内容だが、アメリカ軍としては、広島は空襲を受けていなかったため、いわばテストを行う場所としては最適なスポットだったのだと考えられる。

これが、広島が投下の目標として選ばれた理由とされている。

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長崎

長崎に原爆が落とされたのは1945年(昭和20年)8月9日。

広島に原爆が落とされてから3日後の事で、これが2度目の原爆投下となる。

繰り返しになるが、原爆投下の目的の1つには「原爆の威力をチェックする目的」があると言われていた。

しかし、長崎は原爆の威力を探る環境としてはあまり向いていないのだ。当時は3番目の候補になっていた。

直径4.8km以上の市街地…としてはマッチしているが、土地の形状は原爆の威力を一目で計測できるようなものでもなく、人口も25万と他の候補地と比べてみると、あえて長崎を選ぶ必要は無いと感じられる。むしろ小倉の方が適していたと言われているくらいだ。

さらには、長崎はすでに130機以上による空襲も受けていた。そのため、”本来の目的”としては明らかに不釣り合いな地域であるわけだ。

そのため、もともとは長崎ではなく「小倉」にアメリカ軍は原爆を投下しようとしていたのだが、日本軍が応戦したことによって、原爆を投下する目標地まで行くことが困難になった。

そこで、第3候補であった長崎に原爆が投下されることが決定したのだという。

この長崎を投下先として選んだのは、当時「ヘンリー・アーノルド」という軍人と言われている。当時は陸軍航空軍司令官を務めている。

アーノルドは日本人に対して深い憎しみを感じていたと伝えられている。これはアーノルド本人の日記に「日本人を駆除できれば何を使ってもよい」と書かれていた。

明確な理由は不明だが、アーノルドの日本人嫌いのきっかけは間違いなく真珠湾攻撃だろう。

東京空襲の際には「B29」が空を飛びまわっていたわけだが、ここに積まれていた爆弾(焼夷弾)に「パールハーバーを忘れはしない」と書いてほしいと、サイパンで行われた式典で語っていたとのこと。

もう少し詳しく

広島・長崎と原爆の話の中で…

  • レズリー・グローヴス⇒当時の米軍(マンハッタン計画(超大規模な原爆の計画)の最高責任者)
  • ハリー・トルーマン⇒当時の大統領

この2人の名前を耳にしたことはないだろうか。

原爆投下を指示したのはグローヴス、あるいはトルーマンだったのではないかと言われている。

実際にどちらが指示したのかは未だに明確になっていないが、トルーマンは知識不足から軍に良いように使われていた印象がある。

グローヴスの計画

グローブスは原爆の開発計画を着々と進めていたわけだが、この計画を始めたのはトルーマンが大統領に就任する前からだった。その当時の大統領はあのフランクリン・ルーズベルトで、トルーマン自身は副大統領を務めていた。

だが、トルーマンが副大統領に就任してから約3ヶ月あとにルーズベルトは亡くなり、原爆の事をよくわかっていないトルーマンが大統領になったのだ。

上記で、グローヴスは「京都への原爆投下を求めていた」と記載したが、結果的に一度、スティムソンに断られている。だが、その後またグローヴスはトルーマンに対して京都をターゲットとするように話しにきたという。

上手く誘導されるトルーマン

その後、スティムソンはトルーマンに対して京都を除外するように相談を持ち掛ける。前述したように、スティムソンは京都に原爆を落とせばアメリカの印象が悪くなるだけでなく、戦後に和解できなくなる可能性もあると危惧していた。

この点はスティムソンもトルーマンも考え方が同じだった。トルーマンは、市民の頭上ではなく、軍事基地のみに原爆を使用すると意思を示していたのだ。

では、なぜ広島と長崎に原爆が落とされたのか?

ある説では、グローヴスが「広島は軍事都市であり一般市民はほとんど住んでいない」といった嘘の情報を流したとされている。

トルーマンが知識が無かったと言う事もあるが、なにより軍に利用されてしまっていた感が非常に強い。

そして、広島に原爆が投下されて、自分が大きな過ちを犯したことにトルーマンは気付き、広島に原爆を投下して破壊行為を行ってしまった責任は自身にあると発言したという。

だが、過ちに気づいたのにも関わらず、そのまま長崎にも原爆が落とされてしまった。

気付いたのが遅すぎて、もはや軍を止められる状態ではなかったのだという。そのため、分かってはいても止められなかった…そんな状況だったのだろう。トルーマンの日記にも後悔している様子が記載されている。

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