君の名はが売れた・ヒットした理由は?続編や現在の復興収入結果は
今回は、新海誠が手掛けた映画「君の名は。」が売れた・ヒットした理由について見ていきたいと思います。また、続編や現在の復興収入結果についても触れていきましょう。
2016年日本で放映された作品でダントツの復興収入をマークしている「君の名は。」ですが、どうしてあそこまでヒットしたのか見ていない方は特に不思議に感じていると思います。
「ヒットしすぎ、売れすぎ」と口にする方も多いと思いますが、新海誠らしい随所に秘められたエッセンスに魅了されれば、一度ではなく”何度でも見たい”と思うでしょう。
まずは、個人的に君の名は。がヒットした理由について書いていきたいと思います。
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君の名は。がここまでヒットした理由とは?
よく言われているのが「バイラルマーケティング」ですね。
口コミなどを利用して「面白かった・絶対に見た方がいい」といった事を伝染させる手法です。
確かに振り返ってみればバイラルマーケがここまで収益を伸ばした要因であることは間違いないです。
ですが、そもそもこの作品の”予告”・”内容・見せ方”。そして”新海誠が本気で売ろうと思った作品”であることが大きく関係していると感じます。
予告とのギャップ
君の名は。の予告を映画館で前々から筆者は見ていましたが、単純に面白そう(アニメ自体が好きなため。もちろん新海ファンであるということも要因の1つ)といった印象を受けました(小並
予告の内容としては
- 体が入れ替わった田舎と都会に住む男女高校生
- 彗星を見ている
君の名は。の後編の内容については一切触れられていません。
”新海誠ならではのクセ”を考慮せずに、単純にここから筆者がイメージしたのは
体が入れ替わった2人がその体験を繰り返している内に、お互い好意を持ち始め、実際に会ってみたいと考えるようになる。
男子高校生は体が入れ替わったタイミングで、彼女が住んでいる田舎で彗星を見ることが出来た。
逆に彼女は都会で彗星を見ている。
出会うまでにはそれなりにお互いのヒントを得る必要があるが、最終的には出会う事が出来る。
予告で分かる内容もとい想像できるイメージとしてはこんな感じだと思います。
よくあるストレートな恋愛を描いた作品なのではないか…といった印象を受けた方は少なくなかったと思います。
そして実際に上映を見ると前半は確かに予告と同じような”新海っぽくない”ストーリー仕立てになっていますが、瀧が三葉に会いに行き見ている側もどん底に突き落とされたかの如くシリアスな展開が待っています。
ここで””新海誠の作品””であることを改めて感じるわけです。
メディアで取り上げられた作品のあらすじ・観客の感想
ここまで大ヒットとなれば各番組が取り上げない訳がないです。
そして、番組内で紹介される「絵が綺麗・面白い」といった本当にお前映画の内容見たのかよと言いたくなるようなコメント。
これもまた、ロングヒットに繋がった要因と感じます。ここまで売れていれば、まだ映画を見ていないとしても、ただ絵が綺麗・面白いといった感想に疑問を感じる方も多いと思います。
何が面白のかを確かめに行って何度もリピートしてしまう人もいますし、そもそもそれが単純に伝染して集客に繋がっているという話ですね。
内容。そして情緒不安定な心境
内容については上記の続きですが、やはり一気にどん底に突き落とされてからの展開に心を揺さぶられた方は多いでしょう。
多くの方は「安定」を求めます。自分の人生は勿論ですが、映画を見ていたとしても主人公の立場、異性との関係が安定的になって欲しいと。
それが緻密に計算されていると筆者は感じました。
以下、映画の大体の回想と具体的な心境の変化になります。
先輩とのデートが終わって改めて三葉に連絡をした瀧。繋がらない電話。
そして、ティアマト彗星が観測されてから入れ替わらなくなった二人の体。
意を決して直接三葉に会いに行こうと思ったが、瀧の頭にうっすらと残っているのは彼女が住んでいる町の風景。
一日かけて探した結果、得られたものは彼女が住んでいた町は3年前に無くなっていたという事だけ。
図書館で調べると彼女の名前・四葉の名前。その他にも勅使河原の名前など存在していた人間が彗星で消えた事を明らかにしていました。
瀧も映画を見ている方も「嘘だろ」といった感想しか出なかったと思います。
- 「ここからどうなってしまうのか」
- 「三葉たちと会う事はもう出来ないのか」
- 「このままバッドエンドなのか」
- 「じゃあ今まで話していた三葉との日々は何だったのか」
映画を見ていた時色々な考えが一気に回ってきたと思います。
飽きさせない展開。観客の心を手の上でころころと転がしているあの感じ。悔しいですが認めざるを得ないです。
そして、様々な思考を凝らして口噛み酒を使い、彗星が落ちる日に戻る事が出来た瀧。
そして、祠で目が覚める瀧と入れ替わった三葉。
瀧は三葉の元へ行き、やっとの互いの声が聞こえる状態になる。
しかし、声が聞こえるだけでお互いの姿は見えない。すれ違った場所で手を伸ばす2人。
そこに居るのに触れられないどうしようもない気持ち。ここでは誰もが見入っていたシーンだと思います。
そして、”かたわれどきだ”と二人が同じく口を開いた。
一瞬目をつむる瀧。どうなったのか一番モヤモヤするシーンだったと思います。
三葉の名前を呼ぶ瀧。ようやく2人が出会えたわけです。
これまでのこと、これからやらなくてはいけないことを語り、最後に2人の名前を忘れないように、お互いの手のひらに自分の名前を書き合おうと言いだす瀧。
瀧が書き終わり、三葉が瀧の手のひらに触れる。
名前を書こうとしたその時、虚しくペンが地面に落ちた。
瀧の手のひらには「み」の書きはじめだけが残っていた。
ここでまた観客の心境はどん底に突き落とされるわけですね。
カメラがどんどん引きになっていき、流れ出す「スパークル」。
新海誠ならここで終わってしまう可能性も十分あると感じていたので、筆者の心境はヤバかったです。
ここから飛びますが、誰かは覚えていない瀧が勅使河原たちの声をカフェで聞き、帰り道、ちょっと前から社会人として働いている三葉が歩道橋ですれ違ったりと、”どこまで行っても手が届かない不安定な状態”が続くわけです。
そして、社会人になった瀧と三葉が電車のドア窓から確認しあい、次の駅で降り、お互いを探し合う。
やっと見つけたあの階段で、また”すれ違う”2人。
ここでもまた多くの方は不安になったことでしょう。
そしてやっと。やっと出会う事が出来た2人。
「君の名前は」と同時にパンアップされていくと同時に、冒頭からこれまで紆余曲折あった流れが非常に美しいと感じたはずです。
ストーリーを見た感じでは、泥臭くやっと出会う事が出来たと感じますが、これまでの流れを考えると、一つ一つの言動・カット・観客の心境の変化さえまでも緻密に計算されて、最終的に収束する…といった美しさを筆者は感じました。
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劇伴
劇伴は基本的に、作品に合わせて作ることがほとんどです。
しかし、この作品に関しては劇伴に作品が寄っていったりすることが多く、楽曲によって作品のシーンを削ったりしたこともあったようです。
RADWIMPSが担当した楽曲がほとんどでしたね。
以下のサイトさんで、君の名は。にRADWIMPSが提供した楽曲の全曲解説がされています。この作品が売れた理由にこれも大きく関係していますので要チェックです。
意味深なカットの数々とリピート率
そして、驚異的なリピーターの数も大ヒットの理由です。
リピートの原因は単純に話が面白い。という事もありますが、やはり新海誠の作品ですから、様々な意味ありげなカットも無視できません。
- ドアの閉まり方。(視点)
- トンビが空を旋回しているシーン。一匹・二匹
- 電線が重なっているシーン。一度目・二度目
- 組紐の意味と彗星の別れ方。
- 彗星落下後の祠へ行くまでの水辺の足跡
- 畳の縁と一葉・三葉(瀧)との位置。
- 茶ばしら二つ。
- 口噛み酒の効果。
- 三葉は瀧の手のひらに何を書こうとしたのか。
- そもそも本当に瀧と三葉は出会う事が出来ていたのか。
この他にも様々な部分に怪しい部分がありますが、やはり気になるのは瀧と三葉が本当に出会えていたのか…という部分ですね。
ここからは完全に筆者の妄想になります。
確かに最後に2人は出会う事は出来ていました。しかし、幽世から戻るためには等価になる物が必要なわけです。
結果的に記憶の大きな部分を失ったことが自分の半分を置いて来たという事だったのではないかとも感じますが、やはり等価にはならないですよね。
小説では口噛み酒について詳しく触れられているため、それによって幽世から帰ってくることが出来た…と言う事も何となく理解できましたが、その時の記憶を置いて来ただけで、ハッピーエンドというのも都合が良すぎる気もします。
そして、最後のシーンで三葉だけが言った「探していた」という意味を深読みすれば、あの再開は三葉が思い描いたシーンだった…なんて想像もすることが出来ます。
道中で出て来る”交わっているのか交わっていないのか”を示唆するシーンの数々。結局のところしっかりと交わっているカットは出ていませんでした。
そのため、社会人になって2人が再開(交わる)ことが出来たのは、その一部分とも考えられます。
組紐にしても1つの物がそれぞれ寄り集まって交わる(交わっているように見える)と捉えることが出来ます。
つまり、2人が出会ったことは確かですが、それは線と線が交差した一部分だったのではないかと言う事です。
深く考えるとかなり悲しい結末になって鬱になりそうなのでここらへんで。
なんども言いますが、新海誠は今回の作品に意味あるカットを散りばめていると語っていますが、上記のお話は完全に筆者の妄想です。
深読みしすぎているだけかもしれませんし、そんな風に見せるためのカットではない可能性も高いです。
あまり気にせずに見ていた方も楽しみ方としては間違っていませんし、単純に観ても本当に面白い作品です。
ただ気になった場合は、もう一度映画を見にっても良いと思います。
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